遠藤京子のマクロビオティックな鍼灸の道

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2011年 05月 21日

福島と三里塚

農民が、農地を奪われるということ。

 福島の原発事故で、農業にたずさわってきた多くの人びとが、それまで暮らしてきた土地を奪われ、農業を放棄せざるを得なくなっている。避難を余儀なくされ、それまで築いてきた、いわば村落共同体による人間関係や培われてきた文化なども、大きな影響を受けている。
 テレビでは、そのさまざまなエピソードが紹介されている。
 お金では手に入れられないものの大切さ、いったん壊されてしまったものの再建は、難しいだろうということなど、原発事故がもたらしたものの、取り返しのつかなさなど、金の亡者・東電の連中には分からないだろうなと、思ったりしている。

 私が、同時に思い出すことがある。
 東電の連中の姿に重なり合うのは、私の記憶にある成田空港を建設した「空港公団」の連中である。
 今は、あたりまえのようにみんなが使っている成田国際空港は、やはり、広大な農地の上に建設されたということ。地元農民は、「空港建設反対同盟」を結成して、小学生からその祖父母までが、反対運動に立ち上がった。
 そのとき、彼らは、今、福島原発で農地を奪われる人びとと同じことを言っていた。
 戦後の開拓農民として北総台地に入植し、やっと豊かな農地に育ててきた彼らを、国は強制執行によって土地から引きはがしてきた。
 あのとき、彼らの訴えを、いったいこの国の何人の人がまともに聞いただろうか。
 今のように、彼らの訴えがテレビニュースで放映されることは稀であった。
 
 福島の人びとや原発事故とそれに対する東電や国の対応に怒りを持つ人びとが、かつての三里塚農民の苦悩に思いを馳せてもらえたらと、当時、何度か三里塚空港反対の現場に足を運んだものとしては、思うのです。


 

by HomeMacro | 2011-05-21 20:26 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2011年 05月 21日

キエフと飯館村

かけがえのない自然と、そこに暮らす人びと。

 高校生の時、渋谷に「バラライカ」という名の喫茶店があった。そこは、ロシア料理なども用意されている店で、私はそこの「ロシア紅茶」をが好きだった。温かい紅茶のそこに、ストロベリイジャムが沈んでいて、長いスプーンでかき混ぜながら飲むと、甘みと酸味が紅茶の味を引き立て、おいしかった。

 店のエントランスには、ソファがあってスクリーンが設置され、ロシアの観光ビデオが、いつも流れていた。私のお気に入りは、キエフの自然を紹介したもので、夢見るような広大な自然の美しさに、いつかいってみたいという気持ちにさせていた。
 そこには「今日のソ連邦」というカラー刷りの月刊誌があって、「ご自由にお持ちください」となっていた。今から40年ほど前の話だから、無料の観光ビデオも、カラー刷りの雑誌も、紅茶一杯で楽しめるのは、かなりのお得感いっぱいだったのである。

 後年、チェルノブイリの原発事故があったとき、私が真っ先の思い出したのは、あの、広大なキエフの自然環境の映像だった。いつか行ってみたいと思っていたけれど、もう、行くことは出来ないかも知れないと、思った。現在は、キエフとチェルノブイリ原発がセットになった観光ツアーもあるようだけれども、私は好きこのんで、多少なりとも放射能の影響があるところに、物見遊山で行こうとは思わない。
 そして今、福島の原発事故があって、テレビで紹介されるようになった「飯館村」。全村避難をせざるを得ないこの村が、実にすばらしい日本の里山の風景であることを知った。
 自分たちは何も特別なことを望んでいない。ただここで、子どもを育てて、子どもを幼稚園にやって、普通に生活したいと涙ながらに語った農家の跡継ぎ、飯館村の若いお父さんの姿が、忘れられない。

by HomeMacro | 2011-05-21 18:22 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2011年 05月 02日

核廃絶を願う絵本『さだ子と千羽づる』

17年続けて来た、絵本『さだ子と千羽づる』街頭朗読会。

 福島原子力発電所の事故が、まだまだ先行きが見えない状態、しかも、この国の政治は、ほとんどなきに等しい無能ぶりを見せている。
 私が小学生の時に、アメリカの核実験により被爆した「第五福竜丸」の乗組員が亡くなった。それ以来、核というものは、いかなる使い方にせよ、人間が制御できるものではないと思ってきた。
 核兵器に対して、原発は「核の平和利用」などといわれてきたけれど、どう考えても、いったん事故が起こってしまったら、人間が近づけないのではないか、そうしたら、その事故はどうやって収拾するのだろうかと、思ってきた。
 そして、現に今、そういう状態が続いている。とても、現実とは思えないが、現実なのだ。
 
 核兵器は、とても人間が人間を殺戮するために作ったものとしても、現実とは思えないほどの残忍な威力を持っている。でも、現実に、広島・長崎に投下されたし、形を変えて、「劣化ウラン弾」として、中東で使われている。
 
 核廃絶! もっとたくさんの人びとに、人間が産み出した「核分裂エネルギー」の利用という間違いを、正すための声を上げて欲しい。






by HomeMacro | 2011-05-02 15:28 | 反戦・平和・自由