遠藤京子のマクロビオティックな鍼灸の道

homoemacro.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:ロンドンー東京-沖縄 歳時記( 61 )


2016年 11月 08日

秋晴れ!

沖縄も、「♫いまは、もう、あき……」。
雨ばっかりで、蒸し蒸し、じめじめの沖縄も、この時期は秋晴れというか、湿度も少し落ち着きます。
まあそれでも、本土に行くと、もっとさわやかなんだけど、沖縄レベルとはいえ、さわやかな日々です。
私も部屋の中では、いつもタンクトップだったけれど、このころは、その上に長袖を羽織ります。まあ少し動くと脱ぎたくなる気温は、26℃です。

この時期は、ガーデニングの季節らしく、ホームセンタに行くと、いろいろ売り出しています。私は気持ちだけは、庭の手入れ持ちたいのだけど、なかなかそこまで時間がとれなくて、相変わらずのジャングル状態。
伸び放題のナンキンハゼは、どうしたらいいのか? 去年は、業者に頼んだけれど、けっこうお金もかかるし……。
ナンキンハゼは、本土では、真っ赤に紅葉するらしいけど、気温が下がらない沖縄では、ちょっと黄色っぽくなって、そのまますべての葉が、落葉だけして、冬になると、まったくの枝だけになってしまうのです。

本土では、これから寒さが増してくるのでしょうけれども、沖縄では、夏野菜の植え付け時期。
ピーマン・キュウリ・トマト・ナス・キャベツなどなどが、「琉球新報」のカレンダーには書いてあります。

たわいもない、秋の一日でした。

a0157309_15115629.jpg
▲この葉がすべて落葉したら、小さな庭は、うずまってしまうかも……。
a0157309_15121096.jpg
▲これでも少し草取りしたので、石畳が見えているでしょう。






by HomeMacro | 2016-11-08 15:15 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 18日

ウミエラ館でゆんたくを!

舞台背景は、泡瀬干潟。

土曜日の遅い午後、ウミエラ館でまよなかしんやさんが歌った。彼の歌にぴったりの舞台背景は、泡瀬干潟。
すでに潮が満ちて、干潟は「海」になっている。

私は東京の大森海岸といわれた、すでに埋め立てられてなくなってしまった海が、遊び場だったので、海の香りが懐かしい。
大森海岸は、その昔は質の良い海苔の産地で、子どものころ、親戚へのお土産は、たいてい「大森海苔」だったように記憶している。

いま、ウミエラ館では、キャンプキンザーによって、見えなくさせられてしまっている浦添の海の、そこに生息する生き物たちの写真展が開催されている。4月30日までやっているので、ぜひ見に行ってほしい。

浦添の海は今、商業開発と那覇軍港の移転で、消されそうになっている。
浦添市長は、那覇軍港を受け入れると表明するらしい。こちらも公約違反だ。

キャンプキンザーのおかげで、海が遠くなってしまったせいで、浦添市民でもあまりなじみのない海であるとのことだけど、この海の生き物たちの写真を撮り続けてきた有光智彦・綾子さんの写真は、どれも、ほんとうに自然を慈しむ人の目線で撮影されている。

「ウミエラ館」は、泡瀬の海を守る活動を続けておられる屋良朝敏さんが、私財をかけて開設した運動の拠点ともいえるカフェだ。その施設の維持は、なかなか厳しいものがあると聞く。

みなさん、「ウミエラ館でゆんたくを!」してください。コーヒーはとても美味しいです。マックとか、スタバとかを利用しないで、ウミエラ館で集まりましょう。
泡瀬干潟の風景に、心癒されますよ。

a0157309_20272644.jpg



by HomeMacro | 2015-04-18 21:11 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 14日

ウミエラ館のこと

どうして、海を埋めてしまうのか!

沖縄市の泡瀬に、この干潟を一望出来る、泡瀬干潟の博物館カフェ「ウミエラ館」というのがあります。
泡瀬干潟を守るために運営されているカフェです。館長は、屋良朝敏さん。
いまここで、海の命の写真家、有光智彦・綾子さんの「浦添イノー写真展」が開催されています。
4月12日日曜日、写真展を見に行ってきました。
浦添の埋め立てられて、商業・流通施設になってしまっているそのすぐ下に、またこんな自然が、こんな生き物が、こんなサンゴが残っているんだと、ちょっと驚くような写真です。
でも、ここもさらに埋め立てて、軍港やら、流通施設やら、人口ビーチなるものを造ろうとしているとのことです。
自然を壊して、人口ビーチ? 人口ビーチは、入れても、入れても、砂が流失してしまうそうです。
そりゃそうだよね。浜辺の砂は、自然の潮の流れのなかで、寄せては返し、寄せては返しと、長い年月をかけて出来上がったものだものね。
人口ビーチなんて、気持ち悪いよ。

そして、ウミエラ館の前に広がる泡瀬干潟。潮の満ち引きと、太陽の昇り、沈みで刻一刻とその風景を変えていくのを、日がな一日眺めていたら、とっても癒されると思います。
a0157309_23540877.jpg
▲ウミエラ館からの泡瀬干潟。あまり天気がいいとはいえないけれど、午後の干潟は潮が引いて、はるか向こうまで陸地となっていた。

a0157309_23550079.jpg
▲この写真は、海草が太陽の光を受けて光合成でつくった酸素の気泡で、この気泡がやがて海面に上っていってはじけて、大気に放出されるのだそうです。
その酸素の恩恵を、私たち地上の生き物はたくさん受けているわけです。だから、海を埋め立てるということは、私たちの生きる空間も、壊していくことにつながっているのです。





by HomeMacro | 2015-04-14 00:13 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 12日

4月6日フォークの日と、まよなかしんやさん。

3月4日さんしんの日、4月6日フォークの日、6月9日ロックの日、なんだって。

沖縄の辺野古でも、高江でも、県庁前でも、仲里さんの選挙応援活動の場でも……、闘いの現場のどこででも、ギター抱えて歌うまよなかしんやさん。
沖縄でフォークといえば、彼を抜きには語れません。いつもデモの先頭で、「いやっさっさ、(あーいや)闘うぞぉー!」と、声を上げています。

沖縄に移住した2013年6月23日の「魂魄の塔」で、昔と変わらない姿で歌う彼を見て、何だかとっても心強く思いました。
2000年夏、沖縄サミット反対デモ、嘉手納基地を取り囲む人間の鎖に、東京から参加した時以来だから、13年も経っているのに……。

4月6日フォークの日、浦添の教会ホールを借りてのライブ。しんやさんとその仲間たちによるパフォーマンスは、とっても心温かくなる催しでした。

1960年代後半、ピート・シガーやボブディラン、ピーター・ポール&マリーやブラザーズ・フォー、ベトナム反戦フォークが、日本にも流れてきて、何だかみんなギターを抱えるようになりました。わたしとて、学校の中庭で、当時うたわれていた反戦や体制批判の歌集を配って、歌声集会なるものをやってみたりしましたもん。
a0157309_23423001.jpg
▲まよなかしんやさんのほかにも、何組もの方が出演したフォークの日、今年で、22回目。














by HomeMacro | 2015-04-12 00:19 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 05日

翁長県知事の激励行動に参加してきた。

緊急行動にもかかわらず、大勢の人が集まるさすが沖縄!

 翁長県知事と菅官房長官の会見が行なわれるので、みんなで翁長さんを応援しようという声掛けがあって、早朝から県庁前の県民広場へ行った。
 当然会談は、県庁で行われるものと思っていたのだけれども、15分くらいで集会を切り上げて、会場であるホテルへこれからみんなで行って、激励するという。私は、なんで県庁でやらないで、ホテルなんだろうといぶかしく思いつつ、ぞろぞろとホテルへ向かう道を皆と一緒に歩いて行った。途中、「ANN」という文字が電柱にあったので、全日空ホテルなのかと思いながら、一方通行の狭い道をのさらに狭い歩道の坂を登って行った。
 ところが途中でストップ。坂上の方で、警察が行く手を阻んでいる。一緒に歩いていた人びとは、若い警察官に向かって、あんたたちもウチナンチューでしょ。誰を守るの? 県民を守るんだよ! と声をかける。
 ともかくそれ以上先に進めないので、そこでしばらくの間待機してたら、警察に交渉しても埒が明かないので、半分の人は回り道をして、警察の阻止線の反対側に行ってくれとの指示。私は、そこに残ることにした。
 さらにしばらく待機していると、一方通行の坂の下の方から、翁長知事を乗せた車が上がってきた。一斉に、拍手とがんばれコール。知事は車の窓を開けて、左右の人びとに両手でこぶしを上げて、答えていた。
 会談終了後、菅は警察に守られて裏口から逃げるように那覇空港に向かったとの報告があり、警察も引いたのでホテルの前に行く。ホテルから記者会見が終わって知事が出てくるところを待ちかまえて、ふたたび、みんなでがんばろうコール。知事はこぶしを上げて、答えていた。
 いぶかしく思っていた会場であるホテルのことを、かえってから調べたら、とんでもない場所であったことが判明。実にいやな政府だ。沖縄県民をほんとうに愚弄し、アメリカ政府のかわりに、自分たちが植民者として沖縄を支配しているんだという意識が、会場選択にも現れている。
 その会場は、以下のような場所であった。
 この会見で、翁長県知事は、正にこの、キャラウェイ高等弁務官の発言を、引いて、菅の言葉を批判した。

【Wikipedia】より

 ハーバービュー・クラブ(はーばーびゅー・くらぶ、Harborview Club)は、那覇市にあった琉球列島米国民政府の職員などの在沖アメリカ人による会員制社交クラブのことである。

 1952年に開設された。正会員はアメリカ人が中心であったが、琉球政府高官など政官財各界の指導階層も名誉会員にしており、社交の場として盛んに使用された。そのため、別名「沖縄鹿鳴館」とも呼ばれた。

 キャラウェイ高等弁務官の「沖縄の自治は神話にすぎない」発言は、ここでの席上で行われた。

 館内のレストランや売店は免税措置がとられており、1960年当時ウイスキー水割り1杯が15セント(当時の為替レートで54円)であった。

 また高額配当が出るスロットマシンが設置されており、利用者が大金を注ぎ込んだ。

 復帰後は同クラブは廃止になり、1975年に「ハーバービュー」の名を冠する全日空系のホテル「沖縄ハーバービューホテル」として再スタートした。



a0157309_20522231.jpg
▲警察の阻止線。前方に見えるのが、会談が行われている沖縄ハーバービューホテル。

a0157309_21261772.jpg
▲会場のホテルへ向かう翁長知事両手を上げて、沿道の左右の激励に答える。

a0157309_20514868.jpg
▲会場から出てきた翁長知事。またしても、ともにがんばろうの声が上がる。菅は裏口から逃げるようにして、那覇空港へ向かったとのこと。


by HomeMacro | 2015-04-05 22:40 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 04日

ふたりまとめて、誕生会。

3月生まれの誕生会を、
読谷村でやったよ。


 3月は忙しかったので、延び延びになっていたお孫ちゃんとそのお母さんの誕生会を、読谷村の入り口にある島野菜料理とカレーの店「でちびか」でやりました。この店は、東京から移住した家族がやっています。
 彼らは、自分の子どもたちに食べさせられるものを、お客様に提供するという、ごく当たり前の基準で、食材を選んでいるので、安心していただくことが出来ます。
 そして、とっても研究熱心なご主人の料理は、開店時に比べて、各段に向上しました。
 カレーを選んでセットにすると、さまざまに工夫された島野菜のサラダやあえものなどが、こまごまとついて、とても楽しいワンプレートになります。カレーは、ハーフ&ハーフもOK。ビーガンカレーもあるし、予約すれば、お祝いのケーキも作っていただけます。もちろんビーガン仕様のケーキも。
 
お誕生日なので、チョコレートケーキにイチゴを飾ってくださいました。
ご馳走を食べて、お腹いっぱいになったところに、美味しそうなケーキが登場したので、お孫ちゃんは、ちょっとショックを受けて、沈んでました。でも、気を取り直して、パクついてましたよ。

a0157309_23165355.jpg



by HomeMacro | 2015-04-04 23:39 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 03日

ロックミシンが来た!

前からほしかったもの、買っちゃいました。
 
 仕事が一段落したので、やりたかったことで、溜めておいたものが、たくさん待っています。
 そのひとつが、自分で気に入った服や下着を作ること。もともと、何かを作るのが好きなので、それは、料理、とりわけ加工食品だったり、工作だったりするんだけれども、裁縫や編物も、やろうと思うことがいっぱいあって、時間がないわりには、好きなんだなぁ。
 それと、この手仕事というのが、私にとってはストレスの解消にもなるのだ。それで、普通のミシンと糸巻きが3個付くロックミシンは持っていたのだけれども、4個の糸巻きが付くものなら、直線縫いも同時に出来て、いいらしいというのを知ったので、ほしかったのです。高い買い物だった
 3個のロックミシンは、人にあげてしまって、この最新のマシーンを買ったのさ。ところがこのミシン、あまりにいろいろなことが出来るみたいで、果たして使いこなせるか否かって……。
 モノづくりって楽しいよ。
a0157309_21461345.jpg


by HomeMacro | 2015-04-03 22:00 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 04月 02日

水俣の甘夏が来た!

もう、40年以上のおつき合い。

 相変わらず美味しい水俣の甘夏が、今年も送られてきた。もう20代のはじめのころから、食べている。
生産しているのは、熊本県水俣で、チッソが垂れ流した有機水銀による被害者の方々。「毒を食わされたものは、他者に毒を食わすわけにはいかない」と、毒=農薬を使うことをやめた。その一方で、国とチッソに対しても闘い続けてきた方々である。
生産者をまとめて来られたのは、反農薬水俣袋地区生産者連合(反農連)で、現在は「企業組合エコネットみなまたとなっています。担い手も代替わりして、娘さん、息子さんたちによって運営されています。私がおじゃました時は、お二人ともまだ小学生だったのに、すっかり担い手になっているのが、嬉しいです。
 
 今でこそ、社会科や公衆衛生学などの教科書に、3大公害病として挙げられていますが、ここまで来るには、被害者のほんとうに苦しい闘いがありました。チッソと国を訴えるための裁判に必要な、患者さんの聞き取り調査などにも、ボランティアとして参加したこともありますが、いくらお金を積んでもらっても、身体は元には戻らないし、亡くなった人びとは、帰ってこないという思い、どなたにもあります。
それでも、働けるような状態でなければ、補償をしてもらわねば、生きてゆけません。そんな被害者だれにでもあるような、なんとも収まりどころのつかない思いをかかえて、皆さんは、私たちの質問に答えてくださいました。
 
 水俣の甘夏は、酸味と甘味が自然で、とっても美味しいです。生産者のことを記録した映画「水俣の甘夏」も、機会があったら御覧いただければと思います。

 
a0157309_16372260.jpg

 


by HomeMacro | 2015-04-02 16:48 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2015年 03月 29日

「琉球・幕末・明治維新 沖縄特別展」を見に、浦添美術館へ行ってきた。

誰でも知ってる「ペリー来航」、
歴史を単なる暗記物にしない授業って、大切。
 1980年代の始めのころ、宮城教育大の元学長であった林竹二先生が、東京・南葛飾高校で行なった公開授業を、生まれたばかりの乳飲み子を連れて、聴講させていただきました。その時のテーマは、「人間について」だったように記憶しています。彼の授業は、いくつかのテーマごとに記録映画として撮られていて、そのすべての映画も見せていただいたし、上映会も開催したことがあります。
 
 さて、沖縄だけれども、林竹二先生は、沖縄・久茂字小学校で何度かの授業を行なっています。その中に「開国」というテーマでの授業もり、その内容はとても興味深いものです。機会があれば、ぜひ、御覧いただけるといいと思います。
 彼は、沖縄で「開国」についてやるのであれば、本土で行なう授業とは、違う内容でなければおかしいと、ペリーが最初に琉球に来て、そこを拠点に、横須賀との間を往き来した話を、子どもたちに伝えてゆきます。それを聞く子どもたちの顔は、真剣そのもの。なぜならば、ペリー来航が、通り一遍の記述しかない教科書よりも、もっと身近に感じられる内容だからです。

 そんなことを思い出しながら、展示品を見た。
 今回の特別展は、幕末に至る以前に、琉球は独立した国家として、いち早く、諸外国と修好条約を結んでいた史料が公開されていて、みなが真剣にその史料を見ていたのが印象的でした。
 それ以外の展示は、幕末から明治維新にさまざまに働いた人びとの直筆の書などで、どれも、きれいな状態でした。管理状態もよいのかもしれませんが、和紙というもの力も、すごいものだと思います。
 
 幕末といえば、NHK大河ドラマが話題になりますが、中学生のころ、まだモノクロテレビだったけど、TBSで「幕末」と題するテレビドラマがあって、毎週楽しみに見ていました。木村功高杉晋作を演じていて、それがそっくりなので、今回も展示されている中にあった高杉晋作の写真を見て、木村功を思い出すという、変な反応が私にはあります(笑)。
 
 木村功という俳優を、私は結構、好んでいました。彼は広島出身で、兵隊から戻ってきたら、家族全員が原爆で亡くなっていたという経験をお持ちです。58歳で、癌で亡くなりましたが、残念なことでした。

 浦添美術館は、この2年間毎日通ったエリアにある。3月28日は、久しぶりの大平辺りでした。
a0157309_16463657.jpg



by HomeMacro | 2015-03-29 17:51 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記
2012年 01月 02日

「廃炉」を見届ける

福島第1原発「廃炉」まで40年!

 すでに去年の出来事になってしまった東北地方の地震と津波、さらには福島第1原発の事故。図らずも、国や政治家がほんとうに国民のことを考えているか否かが、試されてしまった。そして、実は、国の政治を主るものたちにとっては、金や権力が最も大事なものなのだということが、はっきりしてしまった。
 私は、「NPOオーロラ自由会議」を2002年に設立しました。そのなかで、「私たちのめざすもの」として以下のようなことを謳っています。

 「もう、政治には任せられない。安全な食生活や生活環境は、自分たちの力で守らなければ……。
世界から戦争をなくし、核を廃絶しなければ……。
 私たちは、これまでの衣・食・住のあり方を、根本的に問い直すことから始まり、すべての人びとが生きやすい社会を築いてゆくことをめざしたいと考えます」。

 まさに今、この内容がより現実的なものとして、私たちに突きつけられています。

 もう、誰も政府の言うことなんか信用していません。みんながそれぞれ独自に、自らも守る手段を持とうとしています。放射能測定器を持ち、自主的に除洗をし、また、福島第1原発からより遠くへ移住し……。それぞれが出来る範囲で、出来るだけのことを使用としています。
 情報をお互いに共有し合いながら……。

 そして、「廃炉」まで40年。政府の言うことだから、信用していないけれど、それより早まることはないだろうと、それだけは確実だろう。
 ならば、それを見とどけてやろうじゃないか。少なくとも、あと40年は生きてやろう。

 そこで、《福島第1原発「廃炉」を見届ける団塊世代の会》を作ることにした。
 会員資格は、唯一、1947年〜1949年生まれと、前後1年以内に生まれた人ということにしよう。
 
 これは、一種の「お達者倶楽部」。皆、100歳を超えて生きなければ、見届けることは出来ません。
 長寿健康法も共有しながら、「廃炉」を見届けることを目標に生きよう。
 その頃には、世界から「核が廃絶されている」はずだから……。

 

by HomeMacro | 2012-01-02 16:50 | ロンドンー東京-沖縄 歳時記