遠藤京子のマクロビオティックな鍼灸の道

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カテゴリ:反戦・平和・自由( 9 )


2017年 05月 08日

山口泉さんが、韓国・光州の民衆美術を語ります。

韓国民衆美術のほんとうの美しさ……。

恒例の山口泉さんがいれる珈琲を頂きながら、チェロ演奏とゆんたくの集いです。
今回は、韓国・光州から帰国したばかりの時期でもあるので、光州市民美術館で行なわれた2人の作家の作品展と大統領選について、報告を聞きながらゆんたくしようと思います。
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by HomeMacro | 2017-05-08 18:53 | 反戦・平和・自由
2012年 11月 17日

プレスリリース:ガザ 新たな集団虐殺 2012/11/14

ただちに行動せよ!

プレスリリース:ガザ 新たな集団虐殺 2012/11/14

占領下パレスチナ、封鎖されたガザ発――イスラエルに対するアカデミック・ボイコットのためのパレスチナ人学生キャンペーン、大学教員連盟、および民主的一国家グループは、可能な限りもっとも激烈な言葉で、ガザ地区の無辜のパレスチナ人に対するの犯罪的攻撃を弾劾する。

過去6時間のあいだに、7歳のラナ・アラファトを含む7名以上が殺された。ひどい火傷をからだに負った子どもたちがシファー病院やガザ地区各地の設備もしい病院に続々と担ぎ込まれている。

この極悪非道の犯罪は、バラク・オバマが大統領二期目に当選したその翌週から始まった。ガザのパレスチナ人を可能な限り多数、死滅させることに対してゴーサインが出たとテルアビブ[イスラエル政府]は主張する。

ガザは2006年以来、イスラエルによる絶滅政策と破壊行為を耐え忍んできた。われわれはあらためて
非難する、これら継続するイスラエルの犯罪を前に、国際社会が共謀して沈黙を守っていること、そして
アラブ諸国の無能さを。われわれは指摘しておく、いかなるアラブの国によっても、イスラエルに対して、何らの行動もこれまでとられたことはなかったことを。

殺戮されているのを、アラブの春は傍観しているつもりなのか? 空疎な修辞はもう結構だ。非難の言葉はアクションへと翻訳されなければならない!

われわれはまた、全市民社会の組織、政党に対し、イスラエル大使館をボイコットし、自らの政府に
アパルトヘイト国家イスラエルとの外交関係を断絶させるよう、繰り返し要請する。今回、アパルトヘイト国家イスラエルが、ガザの無辜の市民に対するその犯罪から逃げおおせるなどということがあってはならない。

学生、学者はすべて、パレスチナ人の学生や学生と連帯しなければならない。われわれは問う、国際社会が行動の必要性を得心するには、ガザの子どもたちの何十という遺体を前にしてもなお十分でないというのか? 
ガザで現在進行中の集団殺戮をやめさせることは、ひとえに市民社会と良心ある者たちの手に委ねられている。

国際社会の無為無策がわれわれにこの事態を招いたのだ。
ただちに、行動せよ、手遅れになる前に。

民主的一国家グループ
イスラエルに対するアカデミック・ボイコットのためのパレスチナ人学生キャンペーン
大学教員連盟

by HomeMacro | 2012-11-17 03:51 | 反戦・平和・自由
2011年 09月 29日

反核・脱原発の思い……。

亡き父が残した唯一の「書評」

 1983年5月発行の「死刑をなくす女の会」の会報に、父が以下のような書評を投稿した。その父は、1985年に亡くなったので、もちろん現状は知らない。
 
 捜し物をしていたら、書類の間から出てきたものを、あらためて読んでみた。
 『ジョンウェインはなぜ死んだか』は、父のようないわゆる一般人、市民運動家でもなければ、とくに何かを研究したりしていたわけでもない、ただの零細企業のおやじさんが、思わず書いたこともない「書評」を書いてみたくなるような内容だったのでしょう。
 
 アメリカ西部劇の人気俳優ジョンウェインは、当時の日本人は誰でも知っているくらいの存在だったし、そのころ、彼が主演の西部劇はテレビでも盛んに放映されていた。

 書評の最後に引用されている映画「渚にて」」は、1959年のアメリカ映画で、私たち家族は父に連れられて全員その映画を見に行った。小学生だったけれども、不思議なくらい、とってもはっきり覚えている。
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書評『ジョンウェインはなぜ死んだか』広瀬隆
(1982年・文藝春秋社) 森川一郎


 文芸春秋社発行の『ジョンウェインはなぜ死んだか』という本を読みました。
 書店で見た時は、ジョンウェインが癌で死んだことは新聞、雑誌、テレビ等で報道され、知っていたので、ことによると、アメリカのことだから、CIAか何か、国家機密とかで、消されでもしたのでは、なんても考えて買ってきた。
 読んでみたら、やっぱり癌で死んだのである。しかし読むにつれて大変なことがわかって来た。著者、広瀬隆氏が、著名な映画俳優が次々と癌で死亡していることに不審をいだき、しらべた結果を書いたものだが、一読ののちは、この本は、ぜひ多ぜいの人に読んでもらいたいと思った。
 ゲイリー・クーパー、トーマス・ミッチェル、スペンサー・トレイシー、ジョン・クロフォード、スティーブ・マックイーン、ジョン・ウェイン等々何十名もの著名な俳優達が、癌で死んでいる。
 今から40年前の1943年頃、第1回の原爆実験がネバダの砂漠で行われた。以後何回も何回も核実験が行われて、周辺のユタ州、アリゾナ州は死の灰につつまれた。
 ユタ州のソルトレイクシティや、セントジョージ等で、ロケをやっていた映画やさん達は俳優もエキストラもほとんどが発癌した。有名でもない俳優やエキストラは報道されないが相当数が死亡したのだろうと思う。
 更に、ロケの撮りのこりを、セット内で撮るために、それとも知らずに死の灰で汚染された砂漠の砂を、トラック何十台もつらねて、ハリウッドに運んだ、そして、西部劇にあまり縁のない人達、ウェルトディズニーやハロルドロイド、ソニアへニー、イングリッド・バーグマン等々、何十人もの名優が癌で死んだ。
 1960年頃ユタの砂漠でロケをした「征服者」では、参加スタッフ220名の内、100名以上が癌で死んだ。
 死の灰は、映画関係者だけにふりかかるわけではもちろん無い。ソルトレイクシティでは、町中に癌の患者がいない家は一軒もない。家畜が500頭死んだ、羊が1500頭死んだ、子供が次々と白血病にかかってる、セントジョージで目の無い赤ちゃんが生まれた、ネバダでも目がない赤ちゃんが生まれた、汚れた雲が通ったあとで髪がごっそり抜け落ちた等々の異様な事件が続発した。
 更に更に、第1回からの実験に参加した兵隊達が、あちらでも、こちらでも癌で病床にあったり死亡している。
 死の灰の半減期は、プルトニューム239では24000年、セシウム137で30年、一度死の灰に汚染されたら完全に消えるまで何万年もかかる。この本にも書いてあるように、死の灰は長期性であり、且つ、年と共に濃縮されていく。
 ジョンウェインが遺した言葉、「人を信じすぎると誕生日を繰り返して祝えなくなる」ジョンウェインは国家を信じすぎた為に長い歳月にわたって癌に苦しめられる自分を発見し、後悔の念を持っていたとに違いないと著者は言っている。
 1957年、スタンリー・クレイマーが、映画「渚にて」を発表し、核兵器で死滅するアメリカの姿を描いた。
 ──兄弟達よ、まだ時間はある──と書かれた幕が無人の街にはためくラストシーンは、私も印象に残っている。
 日本では、原爆の実験はやっていない。しかし、原子力発電の危険性は重大問題である。99.9%安全であっても、0.1%の危険性も絶対に無視できない。しまったと思ったときは、もう遅い。とりかえしはつかない。
 アリゾナ・ネバダ・ユタ、3州の中に、すっぽり入る程せまい日本に、次々と原子力発電所を作って良いものだろうか。クレイマーではないが、兄弟たちよ、まだ時間は、はたしてあるのだろうか。
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 この国の政府は、0.1%の危険性を無視して、取り返しのつかない結果を作ってしまったのですよ。私たちは、この先ずーっと、放射性物質に汚染されながら生きていくしかないのですよ。
 そう、時間はなかったのです。


by HomeMacro | 2011-09-29 22:22 | 反戦・平和・自由
2011年 05月 02日

核廃絶を願う絵本『さだ子と千羽づる』

17年続けて来た、絵本『さだ子と千羽づる』街頭朗読会。

 福島原子力発電所の事故が、まだまだ先行きが見えない状態、しかも、この国の政治は、ほとんどなきに等しい無能ぶりを見せている。
 私が小学生の時に、アメリカの核実験により被爆した「第五福竜丸」の乗組員が亡くなった。それ以来、核というものは、いかなる使い方にせよ、人間が制御できるものではないと思ってきた。
 核兵器に対して、原発は「核の平和利用」などといわれてきたけれど、どう考えても、いったん事故が起こってしまったら、人間が近づけないのではないか、そうしたら、その事故はどうやって収拾するのだろうかと、思ってきた。
 そして、現に今、そういう状態が続いている。とても、現実とは思えないが、現実なのだ。
 
 核兵器は、とても人間が人間を殺戮するために作ったものとしても、現実とは思えないほどの残忍な威力を持っている。でも、現実に、広島・長崎に投下されたし、形を変えて、「劣化ウラン弾」として、中東で使われている。
 
 核廃絶! もっとたくさんの人びとに、人間が産み出した「核分裂エネルギー」の利用という間違いを、正すための声を上げて欲しい。






by HomeMacro | 2011-05-02 15:28 | 反戦・平和・自由
2010年 10月 15日

広島平和資料館の展示資料

こんな着物を着せられて育つって……。

 広島平和資料館では、毎年、新しい資料や企画展を行なっていますが、今年は、新しく発見されたり、遺族から提供されたものが、いろいろと展示されていました。
 その中に、かなり衝撃を受けた展示物がありました。
 それは、子供用の着物の生地です。
 そこには、昔懐かしい童謡などの挿絵で見たことがあるような子ども(といっても子どもの兵隊なのですが……)の絵が描かれ、こんな文言が染め抜かれていました。
 「ヨベヨニッポン イチオクノ イノチアフレル アシオトニ 
  チヘイモユレヨ タイリクノスベテノモノハ イマアサダ
  カチドキアゲタ タイリクニ コレカラキヨイ ウツクシイ
  ヤマトザクラヲ サカスノダ ヘイワヲミダス クモトキリ
  イマハレワタル タイリクヲ トモニユクヒハ モウスグダ」
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「きいち(蔦谷喜一)のぬりえ」のようなかわいい子どもが、銃を肩にかけ行進している絵柄は、何か空恐ろしさを感じました。

 
  

by HomeMacro | 2010-10-15 02:20 | 反戦・平和・自由
2010年 10月 12日

今年の広島平和記念公園

はじめて参列した広島平和記念式典

 毎年、8月6日を中心に広島に通い続け、絵本『さだ子と千羽づる』の野外朗読を行ってきました。
 16回目の今年、はじめて広島市主催の「平和記念式典」に参列しました。今年は、広島平和記念式典始まって以来の自民党以外の首相が挨拶をするし、国連総長・アメリカ大使などが参列するので、そのような雰囲気も知りたいとの希望を、パートナーが広島市に伝え、招待席を用意して頂いただきました。
 
 式典そのものは、毎年そうなのですが、ちょっとやり過ぎじゃないのと思うくらい、前日からリハーサルを繰り返したおかげか、一分の隙もないように粛々と行なわれました。実は、こういうのは、私はとっても苦手なのです。
 しかも、せっかくの自民党以外の首相にも関わらず、菅首相の発言は、とっても問題だったし、公園の外では、これも毎年なのですが、「祝典反対!」とか、「祝典粉砕!」とかのデモが繰り広げられていました。
 私は、祝典を、全面的に肯定する考えはないのですが、「反対! 粉砕!」とデモをするのも、どうかなと思います。たしかに、国や自治体が主催しているものは、すべて、この国のどうにもこうにもしょうがない状態を肯定しきった立場で行われているのが建前だから、とうてい支持できない要素があるのは、確実ですが、式典には、被爆者はもちろんその遺族を中心に、さまざまな人びとが関わり、参加しています。当然のことながら、複雑な思いを持って、関わったり、参加している人もいます。その人びとの思いに有無を言わさず、「反対! 粉砕!」と言うことの目的を、私は計りかねます。
 「反対! 粉砕!」というスピーカーから漏れてくる声を、式典に参列している皆さんは、どのように感じているのでしょうか。
 「核廃絶」という願いを、少しでも多くの人びとが持つということが、私たちの目的だとすれば、何か共有できるものはないだろうかと、努力することも必要ではないかと思います。
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▲案内された招待席のすぐ前の席にいる男性が、記念式典のパンフレットに挟み込まれている鶴の折り方を見ながら、折り鶴に挑戦しているのだけれども、何かうまく折れないようなので、とっても気になって,後ろから声をかけて、つい教えてしまった。というのも、その鶴の折り方は、私がが出版した絵本『さだ子と千羽づる』からの転用なのです。
 そして、その近くに座っている一連の人びとが、ちょっと他の人とは違う雰囲気なので、いったいこの人たちは、どこの人なんだろうと思っていました。
 映画の宣伝のために、広島入りしていたとの報道があったので、後から分かったことですが、私が、後ろから手を伸ばして、鶴の折り方を教えた男性は、映画「キャタピラ」の大西信満でその隣に寺島しのぶ、若松孝二などが並んでいたわけです。あの炎天下の大勢の人びとのなかで、若松監督を除いて皆さん喪服を着ていたのですが、ひときわファッショナブルだったのは、さすが芸能人ですね。
 映画「キャタピラ」については、私は若松孝二の作品のは、苦手なので、見ていません。
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▲絵本の朗読を聞くために集まった人びとが、私たちが用意した折り紙で、鶴を折ってくださいます。これは、あるとき、聴衆のお一人が、鶴を折ってくださったのをきっかけに、折り紙を用意するようになりました。
 毎年、野外朗読を終えて広島を発つ前に、「原爆の子の像」に、捧げてきます。

by HomeMacro | 2010-10-12 18:46 | 反戦・平和・自由
2010年 08月 12日

絵本『さだ子と千羽づる』朗読会

オーロラ自由会議メンバーによる広島平和記念公園でのパフォーマンス。

 毎年、8月4日から6日にかけ、広島平和記念公園の「原爆の子の像」の側で行なう絵本『さだ子と千羽づる』朗読会も、今年で17年目となった。
 今年も、中京テレビの取材を含め、多くの出会いがあった。
 この絵本は、私が主宰する出版社オーロラ自由アトリエから、最初の日本語版が1994年に出版された。それ以来、毎年、朗読を続けている(1995年に朝鮮語版、1996年に英語版も刊行)。
 著者は、横浜にあるフェリス女学院大学の学生たち。でも、彼女たちが最初に持ってきたテキストは、「2歳で被爆し、10年後につるを折りながら白血病でなくなったさだ子ちゃんの物語」というようなものだった。
 しかし、出版するからには、内容を充実させなければと考え、作家・山口泉さんにも参加してもらって、学生たちと1年以上にわたって、取材や調査を行ない、討論を重ねてきた。
 なぜ、広島・長崎に原爆が落とされることになったのか。
 そのころ、日本は何をしていたのか。
 原爆の被害とはどんなものか。
 「原爆の子の像」が建ったころの新聞記事や雑誌なども調べ、ご遺族にもお話をうかがった。
 しかも、その内容を、子どもたちに分かるような、テキストにしなければならない。
 結果、実によくできたテキストが出来上がったと自負している。
 絵本は日本語版の刊行後、朝日新聞「天声人語」やNHK全国ニュースでも取り上げられ、1997年には第3回「平和協同ジャーナリスト基金賞」大賞を受賞している。
 なお、現在発売中の『週刊金曜日』2010年8月6日・13日合併号(特集「核」なき世界への道)の「本箱」欄では、平和に関する基本的文献の1冊として、次のように紹介されている。
 「広島で被爆し、白血病に倒れた佐々木禎子さんのお話を絵と文で綴る。日本の侵略性にも触れ、語り手の内省的姿勢が貫かれた稀有な絵本」
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▲広島の夏はとても暑い。朝から夕方まで、公園での朗読はとても大変だけれども、さまざまな人びととの出会いがあり、また、多くの人びとが熱心に聞いてくれるので、やりがいがあると感じます。
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▲『さだ子と千羽づる』表紙
それにしても、日本は暑い。涼しいロンドンから、避暑の逆。この暑さを満喫して(笑)ロンドンに戻ったころには、肌寒くなっているかもしれない。

by HomeMacro | 2010-08-12 02:06 | 反戦・平和・自由
2010年 07月 07日

アイルランド・ダブリンの街角で。

独立を闘い抜いた人びとの国。
 
 アイルランドは、日本からみると、イギリスから海を隔てて向こう側にある国。
 ビール好きには、ギネスで有名だけれども、イギリスの支配から独立するための長い闘いの歴史を持った国です。
 独立の闘いを中心的に担い、処刑されたジェームズ・コノリーの名前をつけた書店を見つけました。
 テンプルバーという賑やかな繁華街の一角に、その店はありました。
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▲お昼を食べようと賑やかな通を歩いていたら、ゲバラやマルクスなどの本が店頭に並んだ本屋さんがあったので、入ってみました。
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▲店主は筋金入りの「左翼」って感じで、レジに貼ってあるポスターは、「ボイコット コカコーラ」。左翼政党のバッジをつけていました。
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▲それもそのはず、書店の名前は、独立の闘いを中心的に担い、処刑されたジェームズ・コノリーの名前がついていました。

by HomeMacro | 2010-07-07 02:21 | 反戦・平和・自由
2010年 05月 22日

友情と連帯に包まれた街……光州(1)

韓国・光州5・18(オーイルパル)から、30年。

 はじめて韓国・光州(クヮンジュ)へ行ったのは、1992年12月だった。
 その時ですでに、光州の人びとの闘いから、12年を経ていた。
 そして、今年は、30年。パートナーが取材に行くので、私も同行させてもらった。
 
 18年前、光州・朝鮮大学の地下にある学生食堂の壁画に、感動したが、その書き手たちと、ともに酒を飲みキムチを食べることがあろうとは……。しかも、そこにあった「解放アリラン」というとっても感銘を受けたすばらしい版画を、後にその作者からプレゼントされることになろうとは……。

 光州事件から25年「光州の記憶から東アジアの平和へ」と題された展覧会が京都で開催された。その展覧会で、「解放アリラン」に再会したときは、ほんとうに驚いた。
 あの地下食堂にあった版画……。では、もしかして、今、来日しているこの展示作品の作者たちは、あの地下食堂の壁画を描いた人たち……? 来日している作者たちをもてなすために、先に東京から来ていたパートナーに、確認をしてもらったところ、まさに、その人たちだということが判明して、感激! 
 そして、彼は「解放アリラン」の作者、チョン・ジョンホ(全情浩)氏に、私があの作品をとても好きだと伝えてくれた。
 
 夜遅くになって、彼らのホテルの部屋で酒盛りの最中、突然折りたたまれた紙が、私に差し出された。それが、「解放アリラン」だった。
 チマチョゴリをきた女性たちが手をつないで作る陰陽……。
 何とも言えない暖かい、希望に満ちた作品。
 
 その後、一度光州を訪れ、彼らのアトリエを見せてもらったり、酒を飲んだりということがあったが、今回も、また彼らの世話になった。
 韓国語がほとんど出来ない私。コミュニケーションは、英語が出来る彼らの仲間の一人と私のパートナーとのやりとりを、韓国語に通訳するという状態か、片言の韓国語を、これがすごいのだけれども、片言以上に駆使してしまうパートナーのコミュニケーション能力によるものだけれども、私たちは、とても幸福な時間を過ごした。彼らもまた、そうであったと思う。
 
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▲1992年12月、学生食堂は冬休み中で、イスが壁に沿って積み上げられていた。
 「解放アリラン」は、壁画と別のところに掛けられていたものを、パートナーが撮影した。
 この作者、チョン・ジョンホ氏は、1987年、仲間のイ・サンホ(李相浩)氏とともに、光州民主化闘争を描いた作品が、「国家保安法」に違反するとして、逮捕・拘束されている。そして、ともに闘った二人は、いまも共にあり、その友情はまわりの人びとに暖かさを伝える。
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▲5・18は、あいにく大雨で、とても大変だった。予定のところへ行く途中、全南(チョンナム)大学の学生のデモに遭遇。「李明博退陣!」と書かれた横断幕を掲げていた。
 その李明博大統領は、昨年同様、追悼行事に出席しなかった。韓国が民主化されて、民主化闘争を闘った人びとは、国家の反逆者から名誉回復され、国のために命を捧げた英雄として、追悼行事も国が主催するようになっている。しかし、それは、政権によっていかようにもされてしまうものでもある。今年は、30年前に戒厳軍と闘って亡くなった人びとの遺族のなかから、行事の内容に批判が起こり、抗議行動もあったという。
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▲30年前の抗争の大きな特徴は、光州市民一人一人が、みな自分に出来ることを担うことで、戒厳軍と対峙したということ。お母さんたちは、おむすびや海苔巻きを作って、学生や市民に配った。前夜祭は、抗争の最大の舞台となった市庁舎前の大通で行なわれ、様々な形で当時を再現する人びとがいました。
 通を歩いていて、おにぎりをもらったときは、思わず目頭が熱くなりました。
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▲海苔(きむ)で包まれたおむすびに、色つけっぽい黄色いたくあん……。おいしかったですよ。ご飯にいちばんだいじなものにあふれた、おむすびでした。
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▲国が作った5・18記念公園の隣にある、当時仲間によって葬られた「マンウォルドン」の墓地へのエントランスに作られた光州市民の闘いのレリーフの中には海苔巻き(キンパプ)を配る様子も描かれている。このレリーフも、チョンジョンホ氏たちの手によるもの。

by HomeMacro | 2010-05-22 04:54 | 反戦・平和・自由