「廃炉」を見届ける  

福島第1原発「廃炉」まで40年!

 すでに去年の出来事になってしまった東北地方の地震と津波、さらには福島第1原発の事故。図らずも、国や政治家がほんとうに国民のことを考えているか否かが、試されてしまった。そして、実は、国の政治を主るものたちにとっては、金や権力が最も大事なものなのだということが、はっきりしてしまった。
 私は、「NPOオーロラ自由会議」を2002年に設立しました。そのなかで、「私たちのめざすもの」として以下のようなことを謳っています。

 「もう、政治には任せられない。安全な食生活や生活環境は、自分たちの力で守らなければ……。
世界から戦争をなくし、核を廃絶しなければ……。
 私たちは、これまでの衣・食・住のあり方を、根本的に問い直すことから始まり、すべての人びとが生きやすい社会を築いてゆくことをめざしたいと考えます」。

 まさに今、この内容がより現実的なものとして、私たちに突きつけられています。

 もう、誰も政府の言うことなんか信用していません。みんながそれぞれ独自に、自らも守る手段を持とうとしています。放射能測定器を持ち、自主的に除洗をし、また、福島第1原発からより遠くへ移住し……。それぞれが出来る範囲で、出来るだけのことを使用としています。
 情報をお互いに共有し合いながら……。

 そして、「廃炉」まで40年。政府の言うことだから、信用していないけれど、それより早まることはないだろうと、それだけは確実だろう。
 ならば、それを見とどけてやろうじゃないか。少なくとも、あと40年は生きてやろう。

 そこで、《福島第1原発「廃炉」を見届ける団塊世代の会》を作ることにした。
 会員資格は、唯一、1947年〜1949年生まれと、前後1年以内に生まれた人ということにしよう。
 
 これは、一種の「お達者倶楽部」。皆、100歳を超えて生きなければ、見届けることは出来ません。
 長寿健康法も共有しながら、「廃炉」を見届けることを目標に生きよう。
 その頃には、世界から「核が廃絶されている」はずだから……。

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# by HomeMacro | 2012-01-02 16:50 | ロンドンー東京 歳時記 | Trackback | Comments(0)

脱原発の思い……。   

亡き父が残した唯一の「書評」

 1983年5月発行の「死刑をなくす女の会」の会報に、父が以下のような書評を投稿した。その父は、1985年に亡くなったので、もちろん現状は知らない。
 
 捜し物をしていたら、書類の間から出てきたものを、あらためて読んでみた。
 『ジョンウェインはなぜ死んだか』は、父のようないわゆる一般人、市民運動家でもなければ、とくに何かを研究したりしていたわけでもない、ただの零細企業のおやじさんが、思わず書いたこともない「書評」を書いてみたくなるような内容だったのでしょう。
 
 アメリカ西部劇の人気俳優ジョンウェインは、当時の日本人は誰でも知っているくらいの存在だったし、そのころ、彼が主演の西部劇はテレビでも盛んに放映されていた。

 書評の最後に引用されている映画「渚にて」」は、1959年のアメリカ映画で、私たち家族は父に連れられて全員その映画を見に行った。小学生だったけれども、不思議なくらい、とってもはっきり覚えている。

書評『ジョンウェインはなぜ死んだか』広瀬隆
(1982年・文藝春秋社) 森川一郎


 文芸春秋社発行の『ジョンウェインはなぜ死んだか』という本を読みました。
 書店で見た時は、ジョンウェインが癌で死んだことは新聞、雑誌、テレビ等で報道され、知っていたので、ことによると、アメリカのことだから、CIAか何か、国家機密とかで、消されでもしたのでは、なんても考えて買ってきた。
 読んでみたら、やっぱり癌で死んだのである。しかし読むにつれて大変なことがわかって来た。著者、広瀬隆氏が、著名な映画俳優が次々と癌で死亡していることに不審をいだき、しらべた結果を書いたものだが、一読ののちは、この本は、ぜひ多ぜいの人に読んでもらいたいと思った。
 ゲイリー・クーパー、トーマス・ミッチェル、スペンサー・トレイシー、ジョン・クロフォード、スティーブ・マックイーン、ジョン・ウェイン等々何十名もの著名な俳優達が、癌で死んでいる。
 今から40年前の1943年頃、第1回の原爆実験がネバダの砂漠で行われた。以後何回も何回も核実験が行われて、周辺のユタ州、アリゾナ州は死の灰につつまれた。
 ユタ州のソルトレイクシティや、セントジョージ等で、ロケをやっていた映画やさん達は俳優もエキストラもほとんどが発癌した。有名でもない俳優やエキストラは報道されないが相当数が死亡したのだろうと思う。
 更に、ロケの撮りのこりを、セット内で撮るために、それとも知らずに死の灰で汚染された砂漠の砂を、トラック何十台もつらねて、ハリウッドに運んだ、そして、西部劇にあまり縁のない人達、ウェルトディズニーやハロルドロイド、ソニアへニー、イングリッド・バーグマン等々、何十人もの名優が癌で死んだ。
 1960年頃ユタの砂漠でロケをした「征服者」では、参加スタッフ220名の内、100名以上が癌で死んだ。
 死の灰は、映画関係者だけにふりかかるわけではもちろん無い。ソルトレイクシティでは、町中に癌の患者がいない家は一軒もない。家畜が500頭死んだ、羊が1500頭死んだ、子供が次々と白血病にかかってる、セントジョージで目の無い赤ちゃんが生まれた、ネバダでも目がない赤ちゃんが生まれた、汚れた雲が通ったあとで髪がごっそり抜け落ちた等々の異様な事件が続発した。
 更に更に、第1回からの実験に参加した兵隊達が、あちらでも、こちらでも癌で病床にあったり死亡している。
 死の灰の半減期は、プルトニューム239では24000年、セシウム137で30年、一度死の灰に汚染されたら完全に消えるまで何万年もかかる。この本にも書いてあるように、死の灰は長期性であり、且つ、年と共に濃縮されていく。
 ジョンウェインが遺した言葉、「人を信じすぎると誕生日を繰り返して祝えなくなる」ジョンウェインは国家を信じすぎた為に長い歳月にわたって癌に苦しめられる自分を発見し、後悔の念を持っていたとに違いないと著者は言っている。
 1957年、スタンリー・クレイマーが、映画「渚にて」を発表し、核兵器で死滅するアメリカの姿を描いた。
 ──兄弟達よ、まだ時間はある──と書かれた幕が無人の街にはためくラストシーンは、私も印象に残っている。
 日本では、原爆の実験はやっていない。しかし、原子力発電の危険性は重大問題である。99.9%安全であっても、0.1%の危険性も絶対に無視できない。しまったと思ったときは、もう遅い。とりかえしはつかない。
 アリゾナ・ネバダ・ユタ、3州の中に、すっぽり入る程せまい日本に、次々と原子力発電所を作って良いものだろうか。クレイマーではないが、兄弟たちよ、まだ時間は、はたしてあるのだろうか。


 この国の政府は、0.1%の危険性を無視して、取り返しのつかない結果を作ってしまったのですよ。私たちは、この先ずーっと、放射性物質に汚染されながら生きていくしかないのですよ。
 そう、時間はなかったのです。


# by HomeMacro | 2011-09-29 22:22 | 反戦・平和・自由 | Trackback | Comments(0)

福島と三里塚  

農民が、農地を奪われるということ。

 福島の原発事故で、農業にたずさわってきた多くの人びとが、それまで暮らしてきた土地を奪われ、農業を放棄せざるを得なくなっている。避難を余儀なくされ、それまで築いてきた、いわば村落共同体による人間関係や培われてきた文化なども、大きな影響を受けている。
 テレビでは、そのさまざまなエピソードが紹介されている。
 お金では手に入れられないものの大切さ、いったん壊されてしまったものの再建は、難しいだろうということなど、原発事故がもたらしたものの、取り返しのつかなさなど、金の亡者・東電の連中には分からないだろうなと、思ったりしている。

 私が、同時に思い出すことがある。
 東電の連中の姿に重なり合うのは、私の記憶にある成田空港を建設した「空港公団」の連中である。
 今は、あたりまえのようにみんなが使っている成田国際空港は、やはり、広大な農地の上に建設されたということ。地元農民は、「空港建設反対同盟」を結成して、小学生からその祖父母までが、反対運動に立ち上がった。
 そのとき、彼らは、今、福島原発で農地を奪われる人びとと同じことを言っていた。
 戦後の開拓農民として北総台地に入植し、やっと豊かな農地に育ててきた彼らを、国は強制執行によって土地から引きはがしてきた。
 あのとき、彼らの訴えを、いったいこの国の何人の人がまともに聞いただろうか。
 今のように、彼らの訴えがテレビニュースで放映されることは稀であった。
 
 福島の人びとや原発事故とそれに対する東電や国の対応に怒りを持つ人びとが、かつての三里塚農民の苦悩に思いを馳せてもらえたらと、当時、何度か三里塚空港反対の現場に足を運んだものとしては、思うのです。


 

# by HomeMacro | 2011-05-21 20:26 | ロンドンー東京 歳時記 | Trackback | Comments(0)

キエフと飯館村  

かけがえのない自然と、そこに暮らす人びと。

 高校生の時、渋谷に「バラライカ」という名の喫茶店があった。そこは、ロシア料理なども用意されている店で、私はそこの「ロシア紅茶」をが好きだった。温かい紅茶のそこに、ストロベリイジャムが沈んでいて、長いスプーンでかき混ぜながら飲むと、甘みと酸味が紅茶の味を引き立て、おいしかった。

 店のエントランスには、ソファがあってスクリーンが設置され、ロシアの観光ビデオが、いつも流れていた。私のお気に入りは、キエフの自然を紹介したもので、夢見るような広大な自然の美しさに、いつかいってみたいという気持ちにさせていた。
 そこには「今日のソ連邦」というカラー刷りの月刊誌があって、「ご自由にお持ちください」となっていた。今から40年ほど前の話だから、無料の観光ビデオも、カラー刷りの雑誌も、紅茶一杯で楽しめるのは、かなりのお得感いっぱいだったのである。

 後年、チェルノブイリの原発事故があったとき、私が真っ先の思い出したのは、あの、広大なキエフの自然環境の映像だった。いつか行ってみたいと思っていたけれど、もう、行くことは出来ないかも知れないと、思った。現在は、キエフとチェルノブイリ原発がセットになった観光ツアーもあるようだけれども、私は好きこのんで、多少なりとも放射能の影響があるところに、物見遊山で行こうとは思わない。
 そして今、福島の原発事故があって、テレビで紹介されるようになった「飯館村」。全村避難をせざるを得ないこの村が、実にすばらしい日本の里山の風景であることを知った。
 自分たちは何も特別なことを望んでいない。ただここで、子どもを育てて、子どもを幼稚園にやって、普通に生活したいと涙ながらに語った農家の跡継ぎ、飯館村の若いお父さんの姿が、忘れられない。

# by HomeMacro | 2011-05-21 18:22 | ロンドンー東京 歳時記 | Trackback | Comments(0)

核廃絶を願う絵本『さだ子と千羽づる』  

17年続けて来た、絵本『さだ子と千羽づる』街頭朗読会。

 福島原子力発電所の事故が、まだまだ先行きが見えない状態、しかも、この国の政治は、ほとんどなきに等しい無能ぶりを見せている。
 私が小学生の時に、アメリカの核実験により被爆した「第五福竜丸」の乗組員が亡くなった。それ以来、核というものは、いかなる使い方にせよ、人間が制御できるものではないと思ってきた。
 核兵器に対して、原発は「核の平和利用」などといわれてきたけれど、どう考えても、いったん事故が起こってしまったら、人間が近づけないのではないか、そうしたら、その事故はどうやって収拾するのだろうかと、思ってきた。
 そして、現に今、そういう状態が続いている。とても、現実とは思えないが、現実なのだ。
 
 核兵器は、とても人間が人間を殺戮するために作ったものとしても、現実とは思えないほどの残忍な威力を持っている。でも、現実に、広島・長崎に投下されたし、形を変えて、「劣化ウラン弾」として、中東で使われている。
 
 核廃絶! もっとたくさんの人びとに、人間が産み出した「核分裂エネルギー」の利用という間違いを、正すための声を上げて欲しい。




# by HomeMacro | 2011-05-02 15:28 | 反戦・平和・自由 | Trackback | Comments(0)

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